『狂ってる』木村隆二の生い立ち&経歴がもはや社会悪だった!

総理大臣襲撃事件
霧山 結
霧山 結

岸田前総理襲撃事件の首謀者、木村隆二(きむら・りゅうじ)の生い立ちと経歴を調査していく。

木村隆二の生い立ちとWIKI経歴を追求していけば行くほど、意外な接点が多く浮かび上がる。幼少期の頃から口数が少ない少年だった事で、何か溜まったモノが爆発し彼なりに行動をとった事で起こった事件だと言える。

ただ、木村隆二が起こしたこの事件は当然社会的に許される事ではなく、その影響が生い立ちや経歴から来ている事は間違いないだろう。

この記事では、木村隆二がどのような生活環境で育ってきたのか?、生い立ちとWIKI経歴からリンクする岸田総理銃撃事件とは何だったのか?について深堀りしていく。

木村隆二/WIKI的な経歴は当時24歳のプー太郎だった!

霧山 結
霧山 結

木村隆二は、兵庫の川西市で生まれ育った男で、2023年に岸田文雄総理を狙った襲撃事件を起こしたことで全国的に知られるようになった。

彼の生い立ちは特に波乱に満ちたものではなかったが、中学時代から少しずつ内向的になり、周囲との関わりを避けるようになったという。。

幼少期は活発で、近所の人とも普通に交流していたが、中学に入ると一人でいることが増えた。

同級生によれば、特にいじめに遭っていたわけではないが、自ら距離を取るような雰囲気だったという。家庭環境も安定していたとは言えず、近隣住民の証言では父親が怒鳴る声がよく聞こえていたと言う!

結局、父親は家を出て行き、母親と兄弟だけの生活になったようだ。。

高校卒業後、大学へ進学することもなく、定職にも就かないまま過ごしていた。

いわゆるプー太郎で、社会との接点も少なく、孤立する時間が長くなっていったとみられる。

その一方で、政治には関心を持ち始め、地元の市政報告会などに顔を出していたという。岸田総理襲撃事件を起こす前には、安倍元総理の暗殺事件にも影響を受け、政治家への強い不満を募らせていた可能性が指摘されている。

木村隆二/経歴について

木村隆二/経歴について

事件を起こすまでの具体的な行動は明らかになっていないが、爆発物を自作し、それを岸田総理の演説中に投げ込むという計画的な犯行だったことから、長期間にわたって準備していたと推測されるな。

逮捕後の供述などからも、彼が単独で行動していたことが分かっている。

彼の経歴を振り返ると、決して特別な人生を歩んでいたわけではなく、むしろありふれた環境で育ち、社会から徐々に距離を取るようになった結果、事件へとつながった可能性が高いわけだ。。

働きざかりの24歳がなぜプー太郎だったのか・・

24歳といえば、多くの人が大学を卒業して社会人として働き始める年齢だ。もしくは、職人や専門職を目指して修行したり、フリーランスとして挑戦したりする人もいる。

だが、木村隆二はそうではなかった!

定職に就かず、プー太郎のような生活を送っていた。なぜ働きざかりの彼が社会に出ることを選ばなかったのか。

まず考えられるのは、育った環境の影響だ。彼の家庭は父親が家を出て母子家庭になったと言われている。

父親は怒鳴り声が響くようなタイプだったという話もある。そうした家庭の中で育つと、社会に対して前向きな気持ちを持ちにくくなることは十分に考えられる。

「働いて家族を養う」とか「社会の中で生きていく」といった意識が芽生えにくく、外の世界に対する希望を持てなかったのかもしれないな。。

特に日本社会では、新卒のタイミングを逃すと一気に就職が難しくなる。「どうせ自分なんて…」という気持ちが強くなればなるほど、一歩踏み出すのが怖くなるだろう。。

そうしているうちに年月が経ち、24歳になった頃には社会に出る機会を完全に見失っていたのではないか?

その代わりに彼が興味を持ったのが政治だった。

だが、そこでも「世の中を良くしたい・・」という方向には向かわず、「社会に対する不満・・」に意識が向かってしまったわけだ!

何かに打ち込むことで人生を変えるのではなく、社会に対する怒りを膨らませることで自分の存在意義を見出そうとしたのかもしれない。

結局、彼は働くこともせず、世の中とどう向き合うかを考えることもなく、事件を起こす道を選んでしまった。。

環境、性格、社会の仕組み…すべてが複雑に絡み合った結果、彼は「プー太郎」のまま取り返しのつかない選択をしてしまったのだろうな。。

木村隆二/生い立ちが社会枠から外れていた・・

霧山 結
霧山 結

木村隆二の生い立ちを振り返ると、彼は幼い頃から「社会の枠」から少しずつ外れていったように思える。

決して極端な環境で育ったわけではなく、幼少期は明るく元気な少年だったとも言われている。だが、中学に入る頃から内向的になり、一人でいることが多くなった。

木村隆二/生い立ちについて

木村隆二/生い立ちについて

彼の家庭環境も、一般的なものとは少し違っていた。父親は厳しく、その影響もあったのか、最終的に父親は家を出て行った。母親と兄弟だけの生活が始まり家族の形は大きく変わったとされている。。

こうした環境の変化は、まだ心が柔らかい時期の彼に何らかの影響を与えたはずだ!

家庭が不安定になると、子どもは外の社会に頼ろうとすることが多いが、彼は逆に心を閉ざしていき、あるいは社会に出て働き始める中で、木村隆二はどこにも属さなかったわけだ。。

社会の枠組みからさらに外れ、何もしていない時間が増えていき人と接する機会も減り、未来に対する明るい展望を持つこともなかったのではないか?

日本の社会は、一度レールを外れると元に戻るのが難しい。

彼のように若いうちから「何者でもない・・」状態になってしまうと、そこから這い上がるには相当な努力が必要だ。だが、彼はその努力をしようとはしなかったわけだ。。

木村隆二/生い立ちについて

木村隆二/生い立ちについて

代わりに彼が興味を持ったのが政治であり、それは建設的なものではなく、社会に対する怒りや不満に基づくものだった。

政治家への不信感が膨らみ、やがては岸田総理を狙うという暴挙に走ることになる。。

社会の枠から外れたまま、その状況を変えることもできず、最終的には破滅的な道を選んでしまった。彼の生い立ちは、どこかで軌道修正できていたら全く違った未来があったかもしれないな。

家族構成や兄弟との仲は良かったのか?

木村隆二の家族構成は、

父・母・姉・兄・本人

の5人家族だった。

兄弟との関係についての詳細な情報は少ないが、姉や兄と特に親しくしていたという話はあまり聞かれない。

木村は中学時代から内向的になり、一人で過ごすことが多くなったため、家庭の中でも孤立していたのかもしれないな。。

兄弟との強い絆があれば、彼が社会から距離を取る前に支えになっていた可能性もあるが、それはなかったようだ。

結局、木村は家族との深い関係を築けず、社会ともつながりを持てないまま成長していった。その結果、孤独感や社会への不満が蓄積し、あの事件へとつながってしまったのではないかと思う。

口数が少ない少年で周囲との関わりを絶っていた・・

木村隆二は、幼少期こそ明るく元気な少年だったと言われているが、中学に入る頃から次第に口数が少なくなり、周囲との関わりを絶つようになっていった。

同級生たちとは距離を置き、学校生活でも一人で過ごすことが多くなったという。

何が彼をそうさせたのかは定かではないが、家庭環境の影響は無視できない!

木村隆二/家庭環境について

木村隆二/家庭環境について

父親の怒鳴り声が絶えなかったという証言もあり、家の中で安心できる居場所がなかったのかもしれない。

父親が家を出た後、母親と兄弟だけの生活になったが、それでも彼が心を開くことはなかったようだ。

一般的に、人は学校や家庭の中で少しずつ社会性を身につけていく。しかし、彼はそうした場から自然と距離を取り、社会との接点を持たないまま成長していった。

その結果、普通ならあるはずの「誰かに相談する」という習慣が身につかず、自分の中で不満や孤独を抱え込むようになったのではないか?

結局、彼は誰とも深く関わることなく、自分の世界に閉じこもるようになり、社会に適応する機会を失い、その延長線上で事件へと至ったのだろうな。。

参議院選挙立候補の断念と選挙制度への不満があった・・

霧山 結
霧山 結

木村隆二は、2022年の参議院選挙への立候補を考えていたが、最終的に断念している。彼がなぜ立候補を目指したのか、その動機は明確には分かっていない!

しかし、彼が政治に関心を持ち、選挙制度に対して強い不満を抱いていたことは確かだ!

立候補を断念した背景には、供託金の問題があったとされる。

日本の選挙制度では、参議院選挙に出るために最低でも300万円の供託金が必要だ。一定数の票を獲得できなければ没収される仕組みになっており、資金的な余裕がない者にとっては大きなハードルとなる。

彼のように定職に就かず、経済的に不安定な状況の人間にとって、この金額は現実的ではなかったのだろう。

また、日本の選挙制度そのものに対しても、彼は強い不満を持っていたと考えられる。

大政党が圧倒的に有利な仕組みや、政治家が世襲で受け継がれる現実に対して、「普通の人間には政治に関与するチャンスすら与えられない・・」という怒りを抱いていたのかもしれないな。

社会から孤立し、自分の居場所を見つけられなかった彼にとって、政治は自己表現の場の一つだったのだろう。しかし、その道も閉ざされたと感じたことで、さらに社会に対する不満を募らせていった可能性があるな。。

参議院選挙への立候補を断念したことで、彼の人生は大きく変わったわけだ。

もし立候補できていれば、選挙活動を通じて別の道が開けていたかもしれない。

しかし、彼は「この国では自分のような人間に未来はない・・」と思い込んでしまったのかもしれないな。。

その結果、政治への関心は建設的なものから破壊的なものへと変わり、最終的には暴力という手段に走ってしまったのではないか。

国への訴訟と敗訴経験もあった・・

木村隆二は、参議院選挙への立候補を断念しただけでなく、その後、国に対して訴訟を起こし、最終的に敗訴している!

この訴訟の背景には、彼の選挙制度への強い不満があったと考えられる。日本では選挙に立候補するためには高額な供託金が必要であり、それがハードルとなって「普通の人が政治に関与できない」という現実に対する怒りがあったのだろう。

彼の訴えの詳細は明確ではないが、選挙制度の不公平さを主張し、自身が立候補できなかったことを問題視していたとされる。

しかし、裁判所は彼の主張を認めず、敗訴が確定した。

この経験は、彼にとってさらなる絶望をもたらした可能性が高いだろう。。

木村は、もともと社会から距離を置いていた人間だった。

政治に関心を持ち、それを通じて何かを変えたいという思いはあったのかもしれないが、立候補の断念、そして訴訟での敗訴によって、「この国の仕組みは自分のような人間を排除するものだ・・」という確信を持ってしまったのではないか?

普通なら、ここで諦めたり、違う方法を模索したりするところだが、彼は社会と向き合うことを完全にやめ、憎しみを募らせていったのかもしれない。。

訴訟に敗れた後、彼はどのような心境だったのだろうか?

自分の意見はどこにも届かず、国や社会は何も変わらないという無力感に苛まれていたのかもしれない。

その結果、彼は合法的な手段ではなく、暴力という極端な方法で自らの存在を示そうとしたのだろう。訴訟での敗訴は、彼が暴力に至る過程の中で、大きな分岐点だったのではないかと思うな。。

実行を決意したタイミングはどこか・・

霧山 結
霧山 結

木村隆二が岸田総理の襲撃を決意したタイミングは、彼の過去の出来事を振り返ると、いくつかの重要なポイントがあったように思う。

ポイント1:参議院選挙への立候補を断念したこと

まず、参議院選挙への立候補を断念したこと。

これは彼にとって「政治に関わる道を閉ざされた・・」という大きな挫折だった。さらに、その不満を訴えるために国を相手取って起こした訴訟でも敗訴し、法的にも「社会は自分を認めない」と確信してしまったのかもしれない。

この段階で、彼の中には強い憎悪や絶望感が積み重なっていた可能性が高い。

ポイント2:安倍元総理の暗殺事件

そして、もう一つの決定的な要因は、安倍元総理の暗殺事件だったのではないか?

彼はこの事件を注視していたと言われており、それによって「一人の行動で世の中を揺るがせる」という考えを強くした可能性がある!

選挙制度や政治への不満を抱え、訴訟にも敗れ、どこにも行き場のない怒りを持ち続けた彼が、「自分にも何かできる・・」と思った瞬間があったのかもしれないな。。

おそらく、そのタイミングこそが、彼が襲撃を決意した瞬間だったのではないかと思う。

まとめ:木村隆二が社会に問いたかったモノとは何だったのか・・

霧山 結
霧山 結

木村隆二が社会に問いたかったものは、一言でいえば「この国の仕組みは本当に公平なのか?」という疑問だったのではないか。

彼の生い立ちを振り返ると、彼は普通の家庭に生まれながらも、少しずつ社会の枠組みから外れ、孤立していった。

幼少期から周囲と距離を取り、家庭でも居場所を見つけられず、やがては定職にも就かずに社会と断絶するようになった。

そんな彼にとって、政治への関心は「自分の存在を証明する手段・・」だったのかもしれない。

しかし、彼は参議院選挙への立候補を試みるも、供託金という高いハードルに阻まれた。彼のように社会のレールから外れた人間にとって、政治に関わることは極めて難しい。

それでも彼は諦めず、国を相手取って訴訟を起こしたが、最終的には敗訴。こうして、彼の中で「自分のような人間には発言権すらない・・」という絶望が強まっていったのだろう。

その後、彼が安倍元総理の暗殺事件に強い関心を持っていたことは注目すべき点だ。

彼は、この事件をきっかけに「一人の行動で社会を揺るがすことができる・・」と確信したのではないか?

木村隆二/経歴や生い立ちについて

木村隆二/経歴や生い立ちについて

そして、自分もまた社会に対して何かを訴えようと考えた。しかし、彼が選んだ手段は、言葉ではなく暴力だった。

彼は社会に対して「この国の政治は一部の人間だけのものではないか?」「本当に公平な社会なのか?」という疑問を投げかけたかったのかもしれない。

しかし、その方法は間違っていた。彼が感じた不満や孤独は、確かに多くの人が抱えているものかもしれない。だが、それを暴力で訴えた時点で、彼の声はただの犯罪としてしか扱われなくなった。

結局、木村隆二が社会に問いたかったことは、決して届くことはなかった。もし彼が違う形で訴えかけることができていたなら、結果は違っていたのかもしれないな。。

この記事を書いた人

霧山 結
霧山 結
大学では社会学を専攻し、特に犯罪心理学とジャーナリズムを重点的に学ぶ。在学中に起きた未解決事件に心を動かされ、卒業後は記者として事件報道を担当。その後、フリーランスのジャーナリストとなり、現在は未解決事件や特殊な事件に特化した当サイトを運営。

【得意分野】
●未解決事件の再検証
●犯罪心理分析の解説
●社会の中での事件の影響を掘り下げる記事執筆

コメント