【大学⇒行かず】山上徹也の学歴&出身高校が超優秀だった!

総理大臣襲撃事件

安倍前総理襲撃事件の主犯、山上徹也の学歴について大学と出身高校、中学に触れていく。

テロリストとして話題になった山上徹也だが、実は彼の優秀な学歴が関心を示している。大学は行かずに専門分野を学ぶために特化型の学校に行っていた情報もある。

高校時代は偏差値68の学校に入学し、そこから成績上位者として知られ、他の生徒からも一線を画す存在だったという。中学生時代も数々のエピソードがある。

しかし、家庭的な貧困の影響で大学進学を諦め、専門職が学べる学校に進むこととなった。高い能力を持ちながらも家庭環境によって自分のやりたい事ができなかった彼の歩んできた人生は、多くの人々の関心を集めている。

早速見ていこう。

山上徹也/出身高校が郡山高校!地元トップレベルだった・・

出典https://www.youtube.com/

霧山 結
霧山 結

奈良県立郡山高校は偏差値68を誇る、県内でも有数の進学校だ。山上は1999年に、この郡山高校を卒業していることがわかっている。

応援団に所属し、甲子園では選手たちを鼓舞し続けていた。

目立たない生徒だったが、クラスでも特に問題を起こすような生徒ではなく、友人と談笑する姿も見られている。

山上徹也

山上徹也

こうして見れば、あのような事件を起こすとはとても思えない平凡な高校生だ。しかし、外で級友たちに見せる顔が、素顔だとは限らない。

家庭がすでに壊れていることを、プライドゆえに周りに知られたくなかったのかもしれないな。。

もしくは、学校にいる間だけでも、どこにでもいる普通の高校生として過ごせることで、束の間の幸せを味わおうとしていたのかもしれない。

少なくとも、周りの生徒や教師が、山上が抱える心の底の闇に気づいていなかったのは確かだ。

教師も当時の山上の姿を振り返って

特に印象には残るようなエピソードは無い。あまり人とのコミュニケーションを好まない、存在感の薄い生徒だった

と語っている。

山上徹也/高校について

山上徹也/高校について

しかし、言わずとも自分の苦しみを察してくれるほど、世の中は甘くない。彼が本当にすべきことは、悩みを打ち明けられる本当の友人を作ることではなかったのか?

そして、山上は、高校卒業のアルバムで「将来の夢」に関して、ひとこと「わからん・・」とだけ書いている。

この頃、すでに彼は将来に関して、夢を抱けるような状況では無かったのかもしれない。。

高校時代は応援団所属!どんな生徒だったのか・・

山上徹也は高校時代、応援団に所属していたことで知られている。

山上徹也/高校時代

山上徹也/高校時代

応援団といえば、体育会系の中でも特に厳しいイメージがあるが、彼もその一員として日々声を張り上げていたのだろう。

真面目で責任感が強いタイプだったのではないかと想像する。団体行動の中で、自分の役割をしっかり果たすことを求められる環境にいたわけだから、周囲との協力も大切にしていたはずだ!

表向きは、明るく活発な一面を見せていた可能性もある。

しかし、心の中では何か満たされない思いや、誰にも言えない悩みを抱えていたのかもしれないな。。

人知れず苦しんでいたとしても、周りには気づかれないように振る舞っていたのではないだろうか?

応援団で鍛えられた強さと、内に秘めた弱さ。その両面を持ち合わせた、複雑な青春時代を過ごしていたように思えてならない。。

山上徹也/大学は行かずに専門職が学べる学校へ

霧山 結
霧山 結

山上は、高校卒業後、専門学校に進んでいることがわかっている。しかし、卒業を待たずに中退していたとは。。

その後、2002年に期限付きで、海上自衛隊に入隊した。山上はいわゆる「ワーキングプア」だった。

働いても、働いても食べていくのがやっとの給料しかもらえない。。そういう職にしかありつけない。正社員で生活が安定するのは、夢のまた夢。そういう人たちだ。

山上徹也/大学について

山上徹也/大学について

彼が大学に進学しなかったのは、家庭の事情が理由だと言われている。父はすでに他界していたが、それでも充分に裕福だった子供時代。

しかし、彼が思春期を迎えるころから、人生の歯車は徐々に狂いだす。壁のいたる所に張られたお札の数々。

山上家が破産した理由は、母親が1億もの大金を、旧統一教会につぎこんだからだと言われている。

彼は、

「自分の人生が台無しになったのは、宗教のせいだ」

と恨んでいたようだ。。

しかし、一言でそれだけが原因だとも言い切れない。

山上が高校を卒業したとき、時代は「超就職氷河期」と呼ばれる、若者にとってまさに暗黒の時代だった。

パワハラ、モラハラが当たり前の職場でも、食べるもの、寝る場所を手に入れるためには死に物狂いでしがみつくしかなかった。

山上が元総理を狙ったのは、宗教の問題だけではなく、青春をつぶした社会の大人達への恨みもこめられていたのかもしれない。

しかし、そう考えるなら、山上の事件はあまりにも幼い八つ当たりとも言えるな。。

ネット上で論議されている「同志社大学」説は大ウソだった・・

先に述べたように、山上は高校卒業後、専門学校へ進んだ。

しかし、ネット上では現在も、「山上は同志社大学の工学部に進んだ・・」という記事を見つけることができる。

これは一体なぜだろう。。同志社大学は、「関関同立」と呼ばれる、関西では知らない人はいない、名門大学のひとつである。

また、裕福な家庭の学生が数多く通うことでも有名だ。

恐らく山上の家族が皆、もともと裕福な家の人間で、高学歴のエリート揃いであることから、こういった噂が生まれたのだろう。

山上徹也/大学について

山上徹也/大学について

関西は、代々、昔ながらの家柄や貧富の格差が現在も根強く残り、どの地域に住み、どの学校に通っていたかで値踏みされることが、社会人になっても、しばしばある。

確かに、母親がお金をつかいこむことが無ければ、同志社大学に進む道もあったのかもしれない。山上自身も、もしかしたら同志社大学に進むことを最初は希望していたのかもしれない。

しかし、今となってはすべてが、「たられば」だ!

ネットでは、こうした全く裏付けのない嘘が、いかにも事実として堂々と書かれていることがある。

「この容疑者は、もともとお金持ちの子どもで、成績優秀だったらしいから、恐らく大学も良いところへ行ったんだろう・・」「関西で名門大学と言えば、関関同立のどれかに違いない・・」

こうして書くと、非常にくだらない連想ゲームのようだが、このようなことが「真実」として、まかり通ってしまうのがネットの怖さだ。

ネットの記事を読むときは、全てをうのみにせず、常に「これはただの噂話かもしれない・・」と疑う気持ちを、心の片隅においてほしいものだ。。

伯父の「京大に入れる学力だった」発言とは・・

霧山 結
霧山 結

山上の父親は、京都大学の出身だ。京都大学は2024年3月の時点で、全国の大学の順位で3位を記録している、言わずと知れた超難関校だ!

そして山上の母校、郡山高校は2023年の時点で、京大合格者を20人以上出している!

そして彼の成績は、学年でも上位にランクインするほどだった。

山上の親族も、山上が郡山高校に入学した時点で、父と同じ道を進むものと、期待に胸をふくらませていたのだろう。

山上徹也/大学について

山上徹也/大学について

しかし、その期待は、母の一億を超える献金によってつぶされてしまったわけだ。。山上は小学生の頃は成績優秀、スポーツ万能で誰からも一目置かれる存在だったという。

彼自身もまさか、こういった形で自分の未来が閉ざされてしまうとは思ってもみなかっただろう。

伯父は、長年、法律事務所を経営してきた弁護士でもある。

伯父は

旧統一教会の反社会性を知りながら、エールを送っていた安部氏、国会議員にも落ち度はある。そしてこの事件をきっかけにやっと旧統一教会に解散命令が出て、そして裏金問題も明らかになった。そういった社会的な影響をくんでから、彼の罰の重さを決めるべきではないのか

と語っている。

確かに、安部元総理の事件がなければ、旧統一教会はさらなる被害者を生んでいただろう。しかし、こうして人の命が奪われる前に、手を打つことはできなかったのか?

旧統一教会の洗脳の恐ろしさや、多額の献金といった問題は、何十年も前から芸能人のスキャンダルを通して、皆が知っていた。

しかし、政治家も、そして私たちの、誰もが「自分には関係ないことだから・・」と見て見ぬふりをしていた。この事件が問いかける「他人事」の響きは重い。

父親は京都大学卒で母親や親族も高学歴だった・・

山上の父は京都大学出身だと、先にふれたが、そのなかの工学部に進んでいた。伯父のインタビューによると、彼は学者をめざしていて、大変まじめな性格だったという。

おなじく成績優秀で、弁護士になる夢を叶え、自分の事務所をかまえることができた兄の影響もあったのだろう。

しかし、彼は、徹也の母、すなわち妻の父が経営する建設会社に就職する。現場監督という過酷な仕事、そして時に違法な仕事をまかされる立場は、彼の心を一気にむしばんでいった。

酒の量が増え、うつ病になり、とうとう、1984年。彼は自ら死を選んだ。。

一方、徹也の母も社長令嬢として何不自由なく育ち、大阪市立大学に入学した。彼女の両親も、有名大学を卒業したエリートであり、妹は医者になっている。

しかし、結婚後まもなく、夫はアルコールにおぼれるようになり、たびたび妻をののしった。

冷えきった関係に悩む彼女はこのころからすでに、「朝起き会」という新興宗教に心のよりどころを求めるようになっていくわけだ!

まだ、おむつをつけた子どもたちをほったらかしにすることも多く、さらに夫との喧嘩が増えていったと言う。。

やがて、夫亡き後、彼女は子供たちを連れて、奈良の実家に戻るが、頼みの綱だった父親もまもなく亡くなってしまった。

一方、彼女は父親から受け継いだ遺産どころか、会社のお金までもをつかいこみ、旧統一教会に身も心もすべて、ささげるようになってしまった。

その結果がこの事件だ!

確かに心が弱っているとき、人は普段の自分からは想像できないくらい、甘い言葉に流されてしまう。「まさか、自分が・・」そういった事態が起こるのだ。

しかし、最後の最後で踏みとどまる人もたくさんいる。そういった人たちは、単純に心が強いわけではない。

その一線を超えてしまったら、その先、何が待っているのか?、その取り返しのつかない怖さをよく心得ているからだ。

社会で生きていくうえで、自分自身を守るための知識がストッパーになってくれるのだ。しかし、それはどんな優秀な生徒が集まる学校でも教えてはもらえない。

自分が興味関心を持ち、積極的に学びにいかなければ、得られないものである。そして、それが「経験」とよばれるものなのだ。

山上の家族たちはそういった経験が、圧倒的に少なかったのかもしれないな。。

頭で「知っている」のと、手足、心すべてをつかって「分かっている」のは、全く意味合いが違う。

彼らの人生をたどっていけば分かることだが、彼らは知識は豊富でも、人生について「分かっている」ことは、あまりにも少なかったようだな。。

山上徹也が大学進学を断念した最大の原因は家庭にあった・・

霧山 結
霧山 結

山上徹也が大学進学を断念した最大の原因は、やはり家庭環境にあったと言われている。

特に、父親の自殺と母親の宗教へののめり込みが大きく影響していたようだ。。

父親を亡くしたことで家庭の支えがなくなり、経済的にも精神的にも厳しい状況に追い込まれた。さらに、母親が高額な献金を続けたことで、家計はますます苦しくなった。。

そんな中で、山上自身も自分の将来よりも生活を優先せざるを得なかったのだろうな。。

本来ならば大学進学をして、自分の夢や希望に向かって歩むはずだった。しかし、家庭の事情によってその道を絶たれた形になってしまったわけだ。

進学を諦めざるを得なかった無念さや、どうすることもできない現実への焦りが、彼の心に深く刻まれていったに違いない。家庭が安定していれば、全く違う人生を歩んでいたのかもしれないと思うと、なんともやりきれない気持ちになるな。。

中学生時代はバスケ部に入り活躍していた情報も・・

霧山 結
霧山 結

山上徹也は、中学生時代にバスケ部に所属し、活躍していたという情報もある。

バスケは体力も必要だし、チームプレーも求められるスポーツだ。そんな中でレギュラーだったとも言われているから、運動神経は良く、努力家だったのだろう。

周囲から見れば、明るく元気な普通の生徒に映っていたはずだ。

仲間と汗を流し、勝利に喜び、時には負けて悔し涙を流す。そんな青春の日々を送っていたのかもしれない。しかし、家に帰れば父親の死、そして母親の宗教問題という重い現実が待っていたわけだ。。

学校では笑っていても、家では苦しい。そんな二面性を持ちながら、懸命に踏ん張っていたのだろうな。。

バスケ部での頑張りが、彼にとって唯一、心を解放できる時間だったのかもしれない。あの頃、誰か一人でも彼の苦しみに気づき、寄り添う大人がいたら・・。そんな思いが頭をよぎるな。。

まとめ:山上徹也の学歴は超優秀でスポーツマンだった!

霧山 結
霧山 結

山上徹也は、学歴だけを見ると「超優秀」といっていい成績をおさめ、さらにスポーツにも励んでいた活動的な青年だったわけだ!

しかし、彼の人生を振り返ると、その順調そうに見える表向きの姿とは裏腹に、家庭の問題という重く苦しい現実が常に付きまとっていたように思う。

中学時代はバスケ部に所属し、レギュラーとして活躍していて、運動神経が良いだけでなく、日々努力を積み重ねる根気強さも持っていたのだろう。きっと、周りからも「明るくて活発な好青年」という印象を持たれていたに違いない。

高校では応援団に所属。応援団といえば、上下関係も厳しく、声を枯らしてひたすら仲間を鼓舞する姿が思い浮かぶ。

そういった厳しい環境に身を置き、仲間たちとともに汗を流していた山上は、責任感も強く、辛抱強い性格だったのではないかと想像する。

さらに、学業面でも成績は常に上位で、周囲から「頭がいい」と一目置かれる存在だったとも聞く。まさに文武両道で、将来を期待されるような生徒だったのではないか?

だが、本来ならそのまま大学に進学して、勉強でもスポーツでも自分の力を伸ばしていけるはずだった。しかし、優秀で努力家で周りからも認められていた青年が、自分の未来を諦めざるを得なかった悔しさは計り知れないだろう。。

一見、順風満帆に見える学歴とスポーツの実績。

しかし、その裏では必死に耐え、踏ん張ってきた姿があったと思うと、胸が締めつけられる。誰かが早く気づいて声をかけられていたら、彼の人生も違っていたのではないか?そう考えずにはいられないな。。

この記事を書いた人

霧山 結
霧山 結
大学では社会学を専攻し、特に犯罪心理学とジャーナリズムを重点的に学ぶ。在学中に起きた未解決事件に心を動かされ、卒業後は記者として事件報道を担当。その後、フリーランスのジャーナリストとなり、現在は未解決事件や特殊な事件に特化した当サイトを運営。

【得意分野】
●未解決事件の再検証
●犯罪心理分析の解説
●社会の中での事件の影響を掘り下げる記事執筆

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